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ふくろうくん


自分の身に起きる、
悲しい出来事を想像して、涙をながす・・・

時間をもてあました部屋で
午後の教室で
家族で移動する車の中で

子どもの頃から、思春期になるまで、
ひまさえあれば、そんなひとり遊びに耽りました。

そして、おとなになったある日。

この、物語の主人公のふくろうくんの
涙の使い方を知り、
目からウロコが落ちました。

こんな、妄想の使い方もあったんだ!

なんて、ロマンチックなんでしょう。



アーノルド・ローベル 作 三木卓 訳
文化出版局


ふくろうくんは、
「きょうは、なみだでおちゃをいれようっと」と思いたつと、
湯わかしをひざにかかえて、いすに座ります。

そうして、

ストーブのうしろに落ちて、見つけられっこないスプーンや
誰も見てくれる人のいない朝や
短くなって使えないえんぴつ

のことを想い、涙をながし、
その涙でお茶をいれ、夜のひとときを過ごすのです。

ああ、ふくろうくん。

「ながした涙でお茶をいれる」のではなくて
「お茶をいれるために、涙をながす」なんて、
なんて、おとなっぽい、想像力の使い方でしょう・・・


わたしも、まだ、涙のお茶を飲むことが、できるかな。

カップ一杯分の涙のために、
ちっちゃな出来事も留めることができるように、
こころの窓をきれいにみがいておこう。

そして、いつか、ふくろうくんのように、
「なみだのおちゃは、いつでもとてもいいもんだよ。」
って、しぶくつぶやくんだ・・・

・     ・     ・

5つの、小さなおはなしがはいっている本の中の、1話です。


スモールさんはおとうさん


スモールさんという小さな紳士が
いろいろな職業をもくもくと誠実にこなすこのシリーズをたのしみながら、
子どもだったわたしは、どこか、こころをざわつかせていました。

スモールさん、仕事ばっかりして、じつは孤独なのでは・・・って。

なので、この本に出会ったときには、
なんだかホッとしたものです。



「スモールさんはおとうさん」
ロイス・レンスキー 作 わたなべしげお 訳
童話館出版


この本の中で、スモールさんの職業は会社員。
(たぶん・・・
 きちんとしたスーツで、朝、車ででかけていくので)

描かれるのは、その仕事風景ではなく、
家庭での様子、夫として、父としての姿です。

これが、まあ、なんと、なんと、すばらしいこと!


まだ、陽のあるうちに帰宅し、
家族で食卓を囲むのが日課です。

会社から帰宅後は、
ある日は洗濯の手伝いをし、
また別の日は奥さんの好きな絵を壁にかけ、
台所の水漏れを直し、
夕方、庭の草刈りまでしてしまうことも。

休日には、家族で買いものや教会に行き、
畑仕事をし、さらに、お料理だって手伝うのです。

眠る前の絵本タイムも、スモールさんが引き受けるのですよ。




もちろん、奥さんは、日々の家事をいきいきと手がけ、
夫婦はいたわりあい、相手を休ませてあげることも、忘れずに・・・

そんな両親をみながら、ほがらかに育つ子どもたちは、たのしげにお手伝い。

これを理想といわずに、
なにを理想だというのでしょう!

どんな仕事にも、的確に従事するスモールさんは、
夫としても、父親としても、非の打ち所のない男だったのです。

・     ・     ・

むすめのはれぼう、
2歳になったころから、スモールさんシリーズの
「のうじょう」と、この「おとうさん」がいたくお気に入り。

夫がよく読んであげているのですが、
わたしは、横で、どうしても笑ってしまいます。

スモールさん、ときどきは、もうすこし、だらだらしていいよーってね。


世の中のお父さん、
タイトルにつられて、よくたしかめずに
うっかり家族の前で読んでしまうと、
いたたまれなくなってしまうかもしれませんので、ご注意を。


* 下の写真は、旧版のモノトーン版のもので、
  現在流通しているのは、色がついています。


山脇百合子さんの描く生活感


子どももおとなも大好きな、山脇百合子さんの絵。

表情やしぐさの親しみやすさ、
素朴でいきいきとした様子がもたらす
あたたかさや、安心感
その魅力を挙げだしたら、きりがありません。

そんな中、わたしが、おとなになってから惹かれているのは、
絵の隅々にかんじる生活感です。

とくに、おうちのなかの様子、
とくにとくに、食卓まわりと、お台所周辺の、
素敵なことといったら!


清潔で、ほどよく整えられた空間には、
箱や缶やかごや布をつかった、暮らしやすい工夫がいっぱい。

テーブルの上に並ぶ食器は、シンプルなんだけどかわいらしく、
付け合わせのグリーンまでおいしそう。

たとえば、塩こしょう、水切りかごのようなものまで、
その場所に必要なものは、きちんとそこにあり、使われています。

よくみると、すみっこに、梅酒のビンが何気なくおいてあったりもして。


そして、いちばん大好きなのは、あちこちに描かれる植物。

お部屋のあちこちや窓辺に、いくつもの鉢が置かれ、
お庭で積んできた草花が、ガラスや陶器のコップにちょこっと飾られ、
壁には、ドライフラワー。

お台所には、パセリの小さな鉢と、
使いかけのセロリをさした大きめのガラスのピッチャーは欠かせません。

そのたくさんの草花は、どれもただの「花」ではなく、
たとえばゼラニウムだったり、カモミールだったり、
クリスマスローズだったり、忘れな草だったり・・・
どんな小さな花も全部、「その花」として丁寧に扱われていて、
夏の部屋には夏の草花が、冬の部屋には冬の草花が、描かれているのです。


書ききれないけど、お庭だって、
実用と鑑賞をちょうどよく兼ね備えていて、
整いすぎず自由なかんじで、どの草花もいきいきと元気で、
ほんとうに、理想的。

やさしさや、あたたかさも含めて、わたしの、暮らしのお手本です。







九月姫とウグイス


サマセット・モームの唯一の童話に
武井武雄氏が絵を描いています。

だれでしょう、
こんなすてきな組み合わせを
思いついた人は・・・


この物語の主人公が、
八月でも十月でもなく、「九月」姫というのは、
たまさかではないと、思います。

急に涼しく、静かになり、
にぎやかな空気にシャカシャカとかき混ぜられて
ちいさな泡になっていた心奥が、
ゆっくりと底に重なり、意識せずにいられない、初秋。

そんな夜に、ひらきたい1冊です。


わたしは、おとなになって、出会ったものがたりだけど、
子ども時代に出会って、もし惹かれることができたら、
とてもすてきです。

その効果は、きっと、何十年後かに、あらわれるのでしょう。

うつくしさって、そういうものですもの。



サマセット・モーム 作 武井武雄 絵
光吉夏弥 訳 岩波書店 945円


シャム(今のタイ国)の、いちばん末のお姫さま
九月姫は、素直な、やさしいかたでした。

けれど、九月姫の、8人のお姉さんたちは、ちがいました。

お姫さまが生まれるたびに、
王さまが名前を付け直したのです。

ふたりのときは、「昼」と「夜」
4人のときは、四季
7人のときは、曜日
そして、月に、というように。

そんなにころころと名前を変えられたものだから、
すっかりひねくれた性格になってしまったのでした。


ある年の、王さまのお誕生日のこと。

王さまは、9人のお姫さまたちに、
めいめい名前の書かれたきれいな金色のかごにはいった
緑色のオウムをお与えになりました。

お姫さまたちは、たいそうかわいがりましたが、
ある日、九月姫のオウムだけ、死んでしまいます。

その晩、かなしみにくれる九月姫のもとへ、
一羽の小鳥がやってきて、美しい声でうたいます。
小鳥を大好きになったお姫さまは、
お姉さんたちにそそのかされて、ずっとそばにいるために
小さなかごに、いれてしまいました。

空が恋しい小鳥は、だんだん、元気がなくなり・・・


うっとりするほどの美しさと、まっすぐ語られる真実、
そして、にやりとせずにはいられない風刺的な可笑しさが、絶妙に混じり合い、
えも言われぬ1冊の本になっています。

夜にみる夢のように脆い物語の断片が忘れられず、
何度も読み返すことになる、不思議な味わいの物語です。

そして、きっと、
空気の澄んだ、気持ちのいい夜には、
自然に、窓をあけてしまうでしょう・・ネ。




かぜはどこへいくの


「おしまいに なってしまうものは、なんにもないの。
べつのばしょで、べつのかたちで はじまるだけのことなの。」

「どんな ものでも?」と、おとこの子は ききました。
「ええ、どんな ものでも。」と、おかあさんは こたえました。

                   ー 本文より



シャーロット・ゾロトウ 作 ハワード・ノッツ 絵
松岡享子 訳 偕成社 1050円


明るかった空の色が、
夕方のむらさき色にかわり、一日が、終わろうとしています。

男の子が、窓からのぞき、
たのしかった一日を、ひとつひとつ思い出しながら、
昼がおしまいになって、残念だな、と思っています。

「どうして、ひるは、おしまいになってしまうの?」

そうたずねる男の子に、おかあさんは、
夜がはじめられるように、と、答えます。
そして、昼は、おしまいになるわけではなく、
べつのところで、また、はじまると。

風はやんだら、遠くへ吹いていき、また、どこかで木をゆらし
飛んでいったたんぽぽの綿毛は、だれかのお庭で花を咲かし
道のおわりは、むこうの道のはじまりで
くだけた波はまた、海にもどり、べつの波になり
つもった木の葉は、土になり、あたらしい命の栄養になる。

秋がきて、その終わりは冬のはじまりで、冬がおわれば・・・


いきどまりで、おわりになるものは、なにもなくて、
ぐるぐる、ぐるぐる、続いている。

こんなにうれしい、
あたりまえで、新鮮な発見は、ほかにあるかな。


こんなふうに、こころ満ちる、一日の終わりが待っているのなら、
もう、ふしぎに思うことを、忘れない。

あたりまえ、で片付けずに、
その意味に考えを馳せることを、
もう、怠らないよ。


生きとし生けるもの


私たちの星・地球は生きている
宇宙のただなかで。

海はたえまなく動き続け、
その深みでは、
魚が泳ぎ、海老がはね、
海草が音もなくゆれている。

小さな小さな砂粒が集まって
押しよせる水から
陸地を守り

そこで木々が空へと育つ。

遠くからはとても
平和にみえる。

けれど小さな煙が吹き上げ
人々は殺しあい、
鴨を空からうち落とし、
山を荒らしている。

びくびくしてひとりぼっちの
のら犬のら猫。

なにかないかとごみをあさる
年寄りたち、

豊かさをわかちあおうと
私たちは生まれてきたのに。

果物は枝に

野菜はむくむくと土の中や
蔓の間にかくれている。

日の光のもとでゆらめく
小麦やとうもろこし。
みな人間のために作られたのだ。

子牛に乳をふくませる
牝牛のために作られたのだ。

鴨のため 歌う小鳥のため
蛇のため かわいいミンクのために
作られたのだ。

生きとし生けるものはみな
私たちの兄弟姉妹、

大地の奥深く眠る
宝石よりもかけがえがない。

だから私たちも
小さな砂の一粒になろう、

すべての命を
苦しみと恐れから守るのだ!

そうしてはじめて私たちは
心静かに眠れる、

星々と月の
やわらかい光に見守られて。



M.B.ゴフスタイン 作 谷川俊太郎 訳
ジーシープレス 1575円


ゴフスタインは
とてもとても静かに語りかけます。

わたしたちの地球は、どんなに穏やかでうつくしいか。

そんな地球の中でおこる、
諍い、不平等、孤独。

枝になる果物や土の中にかくれている野菜は、
だれのために作られたのか。
何のために作られたのか。

想いを馳せることは、
どんなにか大切なことだろう・・・

知っているだけでは、足りないと思います。
感じて、想像して、
ゴフスタインの言葉は、絵本は、いつもその手助けをしてくれます。
そうっと、空気を吹き込まれているみたいに、ふくらみます。

ふいに見上げた空が美しく、遠くの誰かを想うように、
どんな日でも、
おなじ空の下を感じられる人になれますように。

生きとし生けるものを愛しむこころ、持ち続けていられますように。